介護の現場から:自宅にいるのに「家に帰りたい」と訴える帰宅欲求

認知症の介護において、ご本人が自宅にいるにもかかわらず「家に帰りたい」と訴えることは少なくありません。この「帰宅欲求」は、介護するご家族にとって戸惑いや悩みの種となります。今回は、なぜそのような訴えが起こるのか、そしてどのように対応すれば良いのか、具体的な接し方のポイントを解説します。



■接し方の基本


認知症の方が「家に帰りたい」と訴える背景には、単なる場所の誤認だけでなく、深い不安感や喪失感、混乱が存在します。記憶障害や見当識障害により、今いる場所が自分の知っている安心できる「家」だと認識できなくなっていることがあります。また、過去の特定の時期の「家」に戻りたいという気持ちや、何か役割を果たさなければならないという焦燥感が隠れている場合も考えられます。

このような訴えに対して、頭ごなしに否定したり、事実を突きつけて正そうとしたりするのは逆効果です。ご本人の言葉の裏にある感情を理解しようと努め、まずは「そうですね、お家に帰りたいのですね」と共感の姿勢を示すことが何よりも大切です。安心感を与え、混乱を少しでも和らげることを第一に考えましょう。この行動は、認知症の行動・心理症状(BPSD)の一つとして捉え、冷静に対応することが求められます。ご本人の尊厳を傷つけず、寄り添う気持ちを持つことが基本です。


■具体的な対応例


「家に帰りたい」という訴えが聞かれた際の具体的な対応例をいくつかご紹介します。ただし、ご本人の状態や状況によって適切な対応は異なりますので、様子を見ながら試してみてください。

まず、ご本人の話に耳を傾け、気持ちをじっくりと受け止めることが重要です。「どうして帰りたいのですか?」「お家で何かしたいことがあるのですか?」などと、優しく問いかけてみましょう。訴えの内容を繰り返して伝え、「お辛いですね」「心配なのですね」と感情に寄り添う言葉をかけることで、ご本人は自分の気持ちを理解してもらえたと感じ、落ち着きを取り戻すことがあります。

次に、気分転換を促すのも有効な手段です。例えば、「少しお散歩でもしませんか?」「お茶でも飲みながら、ゆっくりお話ししましょう」と誘い、環境を変えることで注意を別の方向に向けることができます。散歩は、心身のリフレッシュになるだけでなく、ご本人が落ち着いて周囲の状況を再認識するきっかけになることもあります。

また、ご本人が好きだった活動や趣味に誘うのも良いでしょう。例えば、昔好きだった音楽をかけたり、簡単な手作業を一緒に行ったりすることで、不安感が薄れ、穏やかな気持ちになることがあります。その際、昔の写真や思い出の品を見ながら、楽しかった頃の話をするのも効果的です。過去の安心できる記憶に触れることで、現在の不安が軽減される場合があります。

言葉巧みに一時的な安心を与える方法もあります。「そうですね、夕食の準備が終わったら一緒に帰りましょうか」「もう少ししたら、みんなで帰りましょう」など、すぐには否定せず、期待を持たせることでその場を収めることができる場合があります。もちろん、これは根本的な解決にはなりませんが、ご本人の興奮を鎮め、穏やかな時間を作るための一時的な対応として有効なことがあります。

一方で、絶対に避けたいのは、力ずくで押さえつけたり、部屋に閉じ込めたりする行為です。これはご本人の不安や混乱を増大させ、さらなるBPSDを引き起こす可能性があります。また、「ここがあなたの家でしょう!」と強い口調で否定することも、ご本人を追い詰めるだけなので避けましょう。



■より良いかかわり方のヒント


<p帰宅欲求への対応は一朝一夕に解決するものではありません。日頃からより良いかかわり方を心がけることで、訴えの頻度を減らしたり、ご本人の安心感を高めたりすることができます。

まず、生活環境を整えることが大切です。ご本人が慣れ親しんだ家具や思い出の品を身の回りに置くことで、安心できる空間を作り出すことができます。また、部屋の照明を明るくしたり、季節感のある飾り付けをしたりすることも、見当識を保つ助けになることがあります。

規則正しい生活リズムを保つことも重要です。毎日同じ時間に起床し、食事をとり、活動し、就寝するといった安定した生活は、認知症の方にとって安心材料となります。日中の適度な活動は、夜間の良質な睡眠にも繋がり、不安感の軽減に役立ちます。

そして何よりも、介護するご家族だけで抱え込まないことが大切です。ケアマネジャーや認知症専門医、地域の相談窓口などに積極的に相談し、サポートを求めましょう。デイサービスやショートステイなどの介護サービスを利用することも、ご本人にとってもご家族にとっても良い気分転換となり、共倒れを防ぐ上で非常に重要です。介護は長期戦になることが多いため、介護者自身の心身の健康を保つことを常に意識してください。

日頃からのコミュニケーションも忘れてはなりません。穏やかな口調で、ゆっくりと、分かりやすい言葉で話しかけることを心がけましょう。ご本人の言葉に耳を傾け、目を見て、笑顔で接することで、信頼関係が深まり、安心感を与えることができます。たとえ「家に帰りたい」という訴えがあったとしても、日頃の良好な関係性が、ご本人の心の支えとなるでしょう。


認知症の方の「家に帰りたい」という訴えは、ご本人なりの切実な思いの表れです。その言葉の奥にある不安や寂しさを理解し、寄り添う姿勢が何よりも大切です。すぐに解決策が見つからなくても、焦らず、ご本人とご家族双方にとって少しでも穏やかな時間が増えるよう、様々な工夫を試みてください。(スタッフ:たか)